日本の戦艦紹介


超弩級戦艦

大和

1941年に就航

大和型戦艦の一番艦であり、大日本帝国が誇る最強最大の戦艦である

佐世保海軍工廠で建造され、当時の最高技術で作られた戦艦であったが時代の流れもあって大きな成果は得られずに儚く散ってしまった。

坊の岬沖(鹿児島)において米軍の空からの攻撃によって沈没した。


武蔵

1942年に就航

大和型戦艦の2番艦である。

 



金剛型戦艦

金剛型戦艦は、戦艦というよりは巡洋戦艦としての位置づけであり太平洋戦争の際、かなりの役割を果たした。

機動力に長けていることがなによりの強みであった。

金剛

金剛型戦艦の一番艦である。

1913年に就航。1944年に米軍潜水艦の攻撃によって沈没した。

イギリスで作られたものであり、艦名は金剛山にちなんだものである。

「きんごう」は現在の海上自衛隊の艦にも受け継がれいる。


比叡

1912年に就航

金剛型戦艦の2番艦で、太平洋戦争で日本海軍で最初に撃破された戦艦である。

テスト艦(練習艦)としての存在が強く、テストとして新しい技術が取り入れられ、それは後々大和の技術として取り入れられた。


榛名

1913年に就航

金剛型戦艦の3番館で、戦艦の名前は、榛名山(群馬県)にちなんだものである。

川崎重工業神戸造船所において建造され、1945年の呉港の空襲に停泊中のところを爆撃され、沈没した。


霧島

1915年に就航

金剛型戦艦の4番艦で戦艦名は霧島山(九州)にちなんでつけられた。

「きりしま」は現在の海上自衛隊にも受け継がれている。



扶桑型戦艦

扶桑型は欧米の動向に対応するため、金剛型よりも優れた新たな戦艦をつくるという目的で設計、企画、そして建造されたものである

扶桑

1915年に就航

扶桑型戦艦の一番艦で、呉海軍工廠で建造された。

1944年、米軍の攻撃により沈没した。


山城

1917年に就航

扶桑型戦艦の2番艦で、横須賀海軍工廠で建造された。

1944年、扶桑とともに米海軍の攻撃により沈没した。